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  • 執筆者の写真ハナ

【特集】衆院選の最年少立候補者!?今井るるさんにインタビュー!



25歳で、今度(2021年10月31日)の衆議院議員選に出馬する予定の今井るるさんにインタビューしました。

学生時代にたくさん悩みながらも、行動し、今この道を選んでいること、普段はなんだか遠く感じる政治家という存在を身近に感じることのできるようなインタビューです。今井るるさんが信じる「政治の力」とは?



聞き手・編集:はな

special thanks:やす、かな



今井るるさんプロフィール

  • 立憲民主党 岐阜県衆議院選挙 岐阜5区候補予定者

  • 1996年4月4日生まれ、25歳

  • 岐阜県多治見市生まれ

  • 中央大学法学部政治学科卒



(紫:はな 黒:今井るるさん)


はな

ーまず、すごく普通の質問なのですが、、好きなアーティストは誰ですか?


今井るるさん

私、SixTONES(ストーンズ)が好きなんです!ジャニーズの。

全部アルバムとかも買って、コンサートも行きたいくらいなんですけど、今は活動の糧にしています。曲を聞きながら元気をもらっています。

私の中では、とても支えになっているアーティストさんです。



ーまさかのジャニーズで一気に身近に感じました(笑)

次から少し真面目な質問なのですが、なぜ政治家を志されたのでしょうか?学生時代から政治家を目指されたということですが、その転機はなんだったのでしょうか?


転機は、2つあります。

1つが、私の実家がイタリアンレストランをやっていることです。

小さい頃から地元の人たちが集まるようなお店だったんですね。だから地域の人たちと親しみがあり、地域の人に育てられた感覚があって、その恩返しがしたいという気持ちが小さい頃からありました。


「恩返しって何ができるだろう」とずっと考えていて、東日本大震災の復興ボランティアに行ってみたのがきっかけで、政治に絞りました。

地域を支えること、暮らしている人たちの命や暮らしを支えるには、ボランティアだけじゃなくて、政治の力が必要だと気付いたんです。

復興していく街、そして「この街が好きだ」と思う人達の気持ちを応援し、支えていくには政治や行政の力が必要なんだと強く実感しました。

なので、2つめの転機は東北の復興ボランティアですね。


ーボランティアを通して、政治のほうがというか、政治の大切さを知ったということですか?


私がボランティアとして参加したときは、東北の震災から2年半くらい経っていた頃でした。

だからもうそろそろ、「被災地」ではなくて、「復興していく街」として応援をしてほしいと現地の方たちから言われました。

例えば、色々な建物が仮設住宅から自分たちの家に変わっていったりとか、各地で商店街が復興していったりとか、街が新しく生まれ変わっていく瞬間に立ち会いました。


その時実際に私たちに何ができたかというと、観光地としてPRしたりとか、みなさんの思いに寄り添って発信を一緒に手伝ったりだとかはできたんです。

けれど、具体的に私が復興に携わったりとか、皆さんの暮らしを支えられたりしたわけではないので、やっぱりボランティアでは限界があるし、街の人たちだけの力でも限界があると思いました。

「じゃあ私に、もっともっとできるとしたら何だろう?」と考えました。その結果、行政や政治がインフラを整備したりだとか、改めて街の制度を考え直したりということをしていたので、私はそういう仕事に携わりたいなと思いました。



ーYoutubeで「#20代で政治家になってみた」を拝見して、今井さんは地元の岐阜県多治見を大事にされているなという印象を受けたのですが、その地元でどんな学生生活を過ごされていたのかをお聞きしたいです。また、地元、岐阜のお気に入りの場所があれば教えていただきたいです。


では、先にお気に入りの場所から話しますね。


私は岐阜の多治見市出身で、選挙区は多治見・土岐・瑞浪・恵那・中津川なんですけども、岐阜5区であり、私の地元には、土岐川という川が流れているんですね。


私は小さい頃から、川遊びをする子ども時代を過ごしたので、川に入って、魚を捕ったりだとか、あとは冷たい水に夏に入って、なんというのかな、何とも言えないあの気持ちのいい水の冷たい感覚というのがやっぱり私の中では、ふるさとの良い思い出です。


私は土岐川しか、小中学生のときは知らなかったんですけど、この活動を初めて、中津川には付知(つけち)川っていう、本当に川の水がエメラルドグリーンで、すっごい綺麗な川があることを知りました。

岐阜には、川と一言で言っても、いろんな魅力のある川があります。

そういった自然が私たちの地域の宝だなと思いますね。


ーありがとうございます。

では、先ほどさせていただいた、1つ目の質問、「どんな学生時代を過ごしていたのか」についてもお答えいただけますでしょうか。


小学生の頃はさっき言った通り、実家が自営業なので、家も忙しいし、正直学校はあんまり馴染めなくて、学校にも居場所がない。ちょっといじめられていたというのもあって、すごく悩みました。

家も、家族も忙しいし、学校もつまらないというか、遊ぶ相手がいないみたいな感じだったんです。でも、そこを周囲のおじさんおばさんが話しかけてくれたりだとか、あとは図書館の司書さんが相手してくれたりだとか、土岐川観察館では、川遊びの達人みたいな人がいて、川魚を一緒に捕ってくれたりもしました。

学校にも家にも居場所がなくても、地域の大人たちが育ててくれるというか、そういう感覚が小学校の頃はありました。


中高は実は、地元の高校に通っていなくて、愛知県の春日井市の高校に通いました。

このころもすごく悩んでいましたね。

何に悩んだかというと、大学進学についてです。

先生たちが一貫して「大学に合格するために勉強しましょう」というふうに言うんですね。中高一貫校ですし。

でも、それにどうしても私は納得がいかなくて。なんで大学に行くのかが、私にはわからないし、私は勉強がしたくてしてるのに「大学へ行くために」っていうそのゴールがやっぱり私にはわからなかったんです。

途中、中学2、3年生のころは学校に行けなくなりかけたというか、気が進まなくなっちゃって、すごく悩みました。

それを学校の先生とか、生徒会の仲間に相談したら、「自分の人生は自分で切り開いて生きていいんじゃない?」とか、「自分らしく生きればいいと思うよ」と言ってもらえました。

そのおかげで、そこから、「じゃあ、私は本当に大学に行きたいのかな」とか、「大学に行ったら何がしたいのかな」というのを、中学3年生、高校1年生くらいから模索をし始めました。

大学に行くために勉強するというよりは、大学で何を勉強したいのかを探すために学校と学外で活動をすると決めました。


高校1年生からは聞き書き甲子園という、全国の高校生が集まって、地域のことを取材したり考えたりするイベントにも参加しました。

「自分の学校の外の高校生が何を考えているのかな」とか、「どんな暮らしをしているのかな」とか、自分以外のものさしを、学校・自分・家族以外のものさしをたくさん増やして、さっき言った、「自分は何のために大学に行くのか?」「大学で何をするのか?」ということをひたすら探し求めた。そんな中学・高校生活でした。


ー私も高校生の時になんで大学に行かなきゃいけないんだろうということは葛藤した部分ではあったので、わかるなあと思いました。でも、今井さんは行動に移しているところが偉いし、流石だと思います。では、大学ではどのような活動をされていたのですか?


大学では「政治をやりたい」というおおまかな目標はあったので、政治学科へ進んで、そこから「私は具体的に何をしたいのか」「何を大事にしたいのか」ということを見つけようと思いました。

ただ学問としての学びだけではなく、しっかりと現場を見たり、地域で活動する中で、自分なりの答えを見つけたいと思い、様々な地方自治体やNPOなど、関心がある団体や機関へ自ら足を運んだり、活動に参加したりしました。


特に力を入れたのは、「対話や情報発信のスキルを磨くこと」と、

「多様な価値観や生き方を、まちづくりや政治に反映させていくための取り組み」です。


「対話や情報発信のスキルを磨くこと」に力を入れようと思ったのは、自分が将来政治を志す上で、発信をすることや対話をするスキルは必ず必要になるだろうという直感があったからです。

そのため、少しでも多くの人の意見や考えを引き出すきっかけになればと、ワークショップデザインの勉強に行ったり、自分でワークショップを企画したりしていました。発信することに関しては、イベントの司会や八王子のFMラジオでラジオパーソナリティをやってみたりして、小規模でも人前で話したり、わかりやすく伝える練習を学業と両立しながらやっていました。


多様な価値観や生き方をまちづくりや政治に反映させるための取り組み、という点では、

セクシャルダイバーシティな社会づくりに関する活動や、女性の健康や性と生き方に関する啓発活動に力を入れていました。

大学入学当初、LGBTQ(性的マイノリティー)と呼ばれる方々への理解や知識がほとんどなかった私は、あるイベントで保坂展人区長に出会って、これから政治を志すのであれば、多様な価値観や生き方についてしっかりと見識を拡げておかなければいけないとアドバイスをいただきました。そこから自分なりに学生団体(LGBT Youth JAPAN)や国際NGOジョイセフで活動をする中で、多くの方と出会い、共に今の日本の生きづらさや課題に向き合ってきました。

また、日本だけでなく、海外のまちづくりを学びに7か国ぐらいを周って、それぞれの地域でスタディツアーやNGOの活動などに参加をしたりしていました。



ーどこの国に行かれたんですか?


インドネシアのマラサリ村という村に行きました。

向こうは言語が700以上くらいあるので、昔からの古い言葉を子どもたちがどのように伝承するのが国の発展にとって良いのか、ということを現地の子どもたちと考えるような活動をしました。


オーストラリアのシドニーでは、マルディグラという、世界最大級のLGBTQIAパレードがあるのですが、そのマルディグラを軸にシドニーの街がどういうふうにセクシュアルダイバシティを実現している街になっているのかということを、現地の学生さんと一緒に取材をして、ディスカッションをするということをやりました。


あとはイタリアの大学にアグリツーリズムの勉強をしに短気留学したり、アメリカのシアトルでiLEAPという団体を通じて、ソーシャルイノベーションについて学びました。


本当にとにかく色々やって、自分が何をしたいのか、何を大事にしたいのかをいうのを考えました。

今、国政を目指している理由も大学の時に見つけたんです。


というのも、私は東日本大震災復興ボランティアをきっかけに政治を志して、大学でも政治を学びました。当初は、地元である多治見市のためにできることをと思い、市長になることを目指していました。しかし、大学の地方自治に関するゼミで、群馬県沼田市の地域観光活性化について、自治体の職員さんとともに、実際に沼田市を歩きながら研究をする中で、沼田市の地域観光活性化は、沼田市だけでは限界がある、周辺地域との広域連携が重要であることが分かりました。

また、大学の授業だけでなく、実際に様々な地域や団体に足を運び、話を聞く中で、改めて、今の日本では市や県だけでは解決できない、人口減少や経済の低迷など、構造的な問題が数多くあることを、強く実感しました。

だからこそ、今、私は国政に挑戦をしています。


この挑戦は、もちろん一人ではとてもなしえない大きな挑戦で、たくさんの方々のご支援によって成り立っています。特に、私が高校生の頃に政治を志した当初からお世話になっている方がいて、その方も28歳から県議をやっているんです。

その方に高校生の頃に、「私は政治家になりたいけど、政治家という仕事がよくわからないし、どうやってなればいいかもわからないから相談にのってほしい」とお願いをしました。高校生の頃から進路相談とか、政治家を本当に目指すとしたら、どういう勉強が必要なのかということを、よく相談していましたね。


28歳で出馬して、28歳で岐阜の県議になられた方なので、やっぱり若い世代が政治に関わるということのお手本になる人です。

私もそういう姿を見習いたいです。

自分が政治家を25歳で目指す理由は、「10年後に、今の私と同じような若い世代が政治に挑戦できる」そんな社会を作っていきたいという思いがあります。

お手本となる先輩がいるからこそ、今の私がある。

私も、今の挑戦が例え一人では叶わなくとも、若い世代の先頭に立って、何度も挑戦を重ねながら、政治に若い世代が挑戦していくことの礎を築いていきたいと思って活動しています。



ー本当に今井さんに続く方がいっぱい出るといいなと思います。

次の質問に移っていこうと思います。

新型コロナウイルスが広がりはじめた頃から菅首相含め、政治家の方たちの言葉や、伝える力というものがいかに大切かということを私は実感しました。

そうした中で、街頭演説などを行われていると思うんですが、有権者の方、それから地域住民の方々に言葉を伝える際に何か意識していることはあるのかなと思い、お聞きしたいです。


本当に私もすごく憤りがあります。


「伝える」と言った点では、野党にも問題はあるのかなと思っています。

野党が批判ばかりしているという印象がみなさん強いんですね。テレビで首相を叱責したりだとか、これはおかしいんじゃないかということを言っているところが、あまり良く受け取られていないというのが現実で。

対案を伝えながらきちんと、何が課題なのかということをわかりやすく伝えるということは大事だと思っています。


あとはそうですね、地元は自民党がずっと強い地域なのですが、このまま現状維持先送りの政治ではダメだということは、このコロナをきっかけに皆さんなんとなく感じていると思うんですね。


自民党に対しての不信感はあるんだけど、じゃあ立憲民主党を信頼できるかというと、そこにはやはり疑問があるというお声も多くいただいております。理由を伺うと、東日本大震災のときの民主党時代が、あまり期待した通りにならなかったみたいで、そこに関しても不信感があるようです。

自民党にも立憲民主党にも不信感があるという状況なので、そこをどう乗り越えていくかというと、候補予定者自身に、人としての信頼と期待を持っていただくことだと思います。


そこは人と人との信頼関係を築いていくこと。相手の価値観をできるだけ否定はしないようにして、私たちがどんなことを目指しているのかということを伝えていく。そこが鍵になっていくんじゃないかなというふうに思います。


いわゆる無党派層、政治にあまり関心ない人たちや若い世代、そういった層に関しては、私は25歳で女性で、あまりしがらみがないので、やはりそういった人たちの心を動かせるような演説をしたりとか、SNSで発信をしたりとかそういったこともやっていく必要があると感じています。


岐阜県の投票率はだいたい約60~65%くらいなんです。残りの4割近くの人たちが自分の意思を示していないということになります。そういった層に、今の国会には20代の政治家がいない現状を知っていただいて、若い世代に未来を託していただく。

そのためには投票に行ってもらわないといけないので、そこは死に物狂いで、できることを積み重ねていかないといけないなと思います。


また、4月から活動する中で、政治に期待しても仕方ない、どうせなにも変わらない、政治には失望している、政治なんてかかわらないほうがいいという政治への諦めや無力感、社会への閉塞感を訴える声を多くいただいています。


でも、大事なのは、私は政治が好きなんですよ。なぜかというと、本来、政治というのは、私たちの願いや思い、「こんな社会にしたい」「こんな国にしたい」という思いを実現していく力があるからです。少なくとも私は、政治にはその力があると思っているんです。

ただ、現状、政治のそういう力は機能していないし、みんなが諦めてしまっている。

でも、みんなが諦めてしまっては、現状維持、先送りの政治が続いてしまって、人口減少も経済の低迷も止まらない。現状維持、先送りではそうなってしまう。


だから、私は声を上げ続けることが大事だと思います。

本来、政治は皆さんが失望するようなものではない。私たちが政治を問い直して、力を取り戻さなきゃいけないんだということは野党として、若手の政治家として訴え続けていくというのが必要なことだなと思っています。



ー女性として声を上げることに勇気は要りませんでしたか?


家族が理解してくれて、協力してくれているところが大きいですね。あとは、今年の2月に結婚しているのですが、夫の理解と支えもあります。


ー結婚のことは公には公表されていないですよね?


そうですね。大々的には言っていないです。それは結婚への様々な印象があることに気付いたからです。男性が女性である私を手伝ってくれていることへの違和感を感じている方もいるようです。また、女性として、子育てへの不安はあります。でも、自分が政治活動と子育てを両立していくことで、若い人への貢献になるのであれば、まず私が挑戦したいという気持ちがありますね。


子育てや教育には、女性の視点が今まで以上に必要だと思うんです。どこの機関においても意思決定の場でディシジョンメーカーが男性が多数派となっていますが、それでは女性の視点や声がこぼれてしまう。そういうところも日本が今、変えていかなくてはいけない点だと思います。



ー女性政治家は下に見られてしまう風潮がありますが、そのような風潮を変えるにはどんなことが必要だと考えるか?


私の課題感としてあるのは、女性だからという問題以前に、「日本人の人権意識の低さ」だと思います。

どんな年齢であろうと、どんな性別であろうと、どんな仕事をしていようと、「その人が生きる権利」「発言する権利」がある、「相手を尊重すること」への基本的な理解というのが欠けているなと正直思います。日本には教育面でそれを教えることが足りないし、定着していないですよね。


だから、女性だから蔑視されるというよりかは、立場が弱い方たちは総じて軽く扱われたり、「なんでお前がそういう発言をするんだ」とか、「なんで敬わないんだ」とかそういった発言が、私以外に対しても散見されますし、私に対してもあります。


「人権意識の低さ」というものから分派していって、女性の貧困や所得の格差とつながっていくのではないかと思います。

どんな生まれでも、教育を受ける権利があるし、生活保護を受ける権利があるのに、「自分には生きる資格がないんじゃないか」とか、「発言する権利がないんじゃないか」とか、そんなふうに思ってしまう弱い立場の人たちがいらっしゃいます。

そういうふうに思ってしまう現状がある。このことに私は課題を感じています。



(活動の様子)


ー教育の面から改善していくべきとお考えですか?


教育の面でもそうですけど、メディアの取り上げ方も関係がありそうですよね。

最近は変わってきましたが、以前は、オリンピックでも女性であることをすごく強調して取り上げたり、「美人な○○選手」みたいな取り上げ方をしていましたよね。


やはり社会での取り上げられ方にも問題があるんんじゃないかと思います。

弱い立場にいる人たちがその場で「おかしい」と言うことができない。この状況を変えていかないといけないと思いますね。


例えばですけど、政治の活動をしていて、失礼なことやこれはおかしいんじゃないかと思うことを言われたときに、「それっておかしいですよ」とか「なんでそんなこと言うんですか」と怒れるかっていうと、実際女性で若いので、怒れないんですよね。

やっぱり私も、我慢してしまう。


そういう現実がやっぱりあるから、そこに対して代わりに言ってくれる人がいたらいいのかとか、そういうところはまだわからないです・・。

とはいえ、弱い立場の人たちが声を上げられない状況、声なき声があるということは政治家として、知ったうえで活動をしていかなくてはいけないと思います。



ー最後に2つ質問をさせてください。

まず1つめは、YouTubeや今回のインタビューでもお話を聞いて、今井さんは常に未来志向だという印象を受けたんですね。その原動力は何なんでしょうか?


このような活動をしていても、未来に絶望してしまって、自分の無力感に苛まれて、寝込んじゃいそうになるときとかもあるんですよ。常に無力感との戦いがあるというのは確かです。


それにどうやって打ち克つかというと・・・。


私、子どもの頃から体が弱いんです。政治家としては本当に良くないことなんですけど。ちょっとしたことですぐ熱が出たりだとか、体が痛いとか、辛いとか苦しいという思いを、小さい頃からたくさんしているんです。


そういう時に、せっかく生まれた命、自分が持っている命を全うしたい。人のために何か役に立ちたいと強く思います。


大病をしているわけではないんですけど、小さい頃から体が弱いと、自分が無限に活動できるわけじゃないということを、命には限りがあるということを突きつけられるんですね。だからこそ、自分の命や志を、自分ができる限りは、体が動く限りは、実現したいし、そのために行動したいというところですね。

自分の命が限られているからこそ、できることをしたいという思いが、一番の原動力です



ーでは最後の質問です。

何か挑戦したいことがあるけど、ためらっている若い世代に、こうしたら一歩が踏み出せるんじゃないかというメッセージがあれば頂きたいのですが、よろしいですか?


「声をあげてもいいんだよ」ということは伝えたいですね。

「自分なんかどうせ」というふうに思ってしまいがちだと思うんですけど、あなたのその違和感や苦しい気持ちとか、何かを本当はやりたいと思っているということを、行動に移すとか、移さないかとかは別として、まず声をあげていい。

匿名でTwitterでつぶやくでもいいですし、友達に一言ポロっと言うのでもいいですし。

まず、声に出してみることにためらってしまう人が多すぎるので、「まず声を上げてもいいんだよ」っていうのは、一貫して私が伝えていきたいことです。


その声を受け取って実現してくれる人が現れるかもしれないですよね。

一人で絶望していたり、一人で諦めてしまうよりかは、まずとりあえず、できないかもしれないし、うまくいかないかもしれないけど、「これやりたいな」とか「これおかしくない?」と言ってみるっていうのは大事にしてほしいなと思います。


ーわたしたちの団体名がVoice Up Japan なので、今井さんがおっしゃっていることと共鳴するところがあって、すごく嬉しく思いました。

本日はお忙しい中、ありがとうございました。



(インタビューの様子)



今井るるさん

公式サイト https://luluimai.com/

Twitter @luluimai

Instagram @luluimai






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